SSブログ
弁護士の仕事 ブログトップ
前の10件 | -

高齢者への法的支援 [弁護士の仕事]

 高齢者の皆さんは、さまざまな悩みを抱えている。

 たとえば、
  介護が必要になったらどうしよう。認知症になったらどうしよう。
  財産の管理をしてもらいたい。年金では生活が苦しいどうすればいいの。
  騙されてローン組まされちゃった。息子が暴力振るう。娘から年金をとられた。
  最後まで家で暮らしたいんだけど、そのとおりにするにはどうしたらいいの。
  無理に治療せず安らかに死にたいんだけど。 
  私の遺した財産で争わないでほしい。などなど。

 高齢者の皆さんは、加齢に伴って様々な不安と日々葛藤している。
 そのような高齢者という属性に着目した横断的な支援が必要である。

 高齢者の皆さんは、市民としての一般的な法律問題から、高齢者特有の問題まで、重層的な悩みを日夜抱え込んでいる。高齢者への法的支援は、そのような高齢者の生活全般を見通した上で、総合的になされなければならない。
 
 高齢者の皆さんへの法的支援は、その射程範囲が広範で、かつ専門的で、しかも総合的であることに特徴がある。

 そのため、高齢者の方から法律相談を受ける場合には、その相談は氷山の一角であり、水面下には大きな悩みの氷が横たわっていることを認識しながら聴いていく必要がある。

 場合によっては、真の悩みが隠れていて、別の角度から相談をされることもある。そのような場合には、多方向から質問を重ねることによって、悩みの本質が浮き彫りになってくることがある(いくら頑張っても浮き彫りにならないようなら、日を改めることも必要だ)。

 そのように、受け止める側が粘り強く(気長に…)聞き出していくことが重要だ。

 また、現在高齢者に対する法的支援の体制整備ができていない。特に、高齢者はわざわざ弁護士の事務所を訪ねることは難しい。弁護士の側が高齢者にアウトリーチするという手法が不可欠だ。このことを、法的サービスのバリアフリーと言ってもよい。

 さらに、高齢者にまつわる制度や仕組みに精通している弁護士ばかりではない。高齢者の皆さんから相談を受けた時に的確に回答できるだけの専門性を高める必要がある。

 そして、弁護士だけでは高齢者の皆さんの問題を解決することができない問題が沢山ある。そのような場合には、ケアマネさんやケースワーカーさん、ヘルパーさんなどの支援者と連携して支援をする必要がある。

 法的なバリアフリーがなされ、専門性の高い弁護士による支援者と連携した対応が、高齢者への法的支援の要諦であると思う。

 (おわり)
nice!(2)  コメント(2)  トラックバック(0) 
共通テーマ:blog

危急時遺言 その3 [弁護士の仕事]

  ドラマは、まだ終わっていなかった。

 12月30日夜、主治医から携帯に電話があった。
 依頼者の妹から「兄の病状を教えてくれ」という電話がきているが、どうしたらよいかという問い合わせだった。
 個人情報保護法によれば、依頼者の同意がなければ告知すべきではない。まして、電話の相手が本当の妹かどうかも分からない。依頼者に確認をしてから対応すべきであると答えた。

 12月31日、ケアマネから電話があった。
 長男と妹が依頼者の自宅を訪れ、長男にすべての財産を相続させることになったので、遺言は不要になったという。私は、再度依頼者に意思確認するようケアマネに指示をした。

 依頼者は、モルヒネの影響はあるものの判断能力はある。
 長男にすべての財産を相続させる意思に変わりがないことを確認した。

 危急時遺言の手続(家裁への確認手続)を中止した。

 年が明けて、長男に電話をした。
 弁護士が預かっている権利証や預かり金を返すことを伝えると、
 長男は「医者から、父はここ数日の命だと言われている。自宅で付き添ってあげたい」という。
 そのため、落ち着いてから事務所に取りに来てもらうことにした。

 この事件の全体像が見えてきたように思う。
 他方、父と長男・妹との関係性が見えない。
 両者の間に何があったのか…

 当初、依頼者から長男や妹との間に何があったのか、敢えて聴取しなかった。
 それを聴くことによって、依頼者の心の安定を乱すのではないかと考えた。
 それで良かったのだと思う。

 彼にとって、命が燃え尽きるときに、寄り添うひとが誰もいなかった。
 短い時間ではあったが、私が彼に寄り添えたことで良しとしよう。

 (おわり…たぶん)

 
 
 

 
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:blog

危急時遺言 その2 [弁護士の仕事]

(きのうの続き)

 翌12月28日早朝、臨時事務所会議。
 自筆証書遺言が書けないからといって諦めて良いのか、危急時遺言を作成することはできないのかと、若手弁護士から声が上がった。諦めかけていた自分を恥じるとともに、在宅の依頼者に医師の協力を得ることができれば危急時遺言は可能であると思い始めた。

 危急時遺言は、臨終の際にある人が、証人3人の立ち会いの下に作る遺言だ。
 遺言者が臨終の際にあり自力で遺言は書けないが、判断能力は充分にあるとの、医師の診断が必要となる。遺言者が口授した内容を書き留め、遺言として作成する。そして、遺言作成から20日以内に家裁に「確認」という手続をする。証人と医師は家裁に出頭して裁判官から遺言作成の経緯などについて質問を受ける。
 
 ケアマネに電話をして、主治医が依頼者の自宅を訪問することは可能であるか尋ねた。すると、今日の午後訪問診療を受診する予定であるという。

 「しめた」と思った。

 診断書の雛形を医師に送信したところ、短時間の訪問診療の際に診断書作成を前提に立ち会うことは難しいとのこと。そこで、主治医は午後8時に依頼者宅を訪れてくれることになった。

 午後7時、弁護士3人とケアマネは、依頼者宅を訪れた。
 自筆で遺言が書けないことを確認し、危急時遺言の方式について説明した。
 表情を見るだけでも、依頼者は昨日よりも体力が落ちているようだ。微熱のため夜はほとんど眠れなかったらしい。

 昨日から、遺言の内容をずっと考えていたそうだ。そして、シンプルな方が良いという結論に達したという。遺言の内容は昨日の話と違っていた。長男にも財産を相続させるという内容だった。恨み辛みの対象だった息子に財産を相続させることになった経緯は敢えて聴かなかった。

 作成した文案に、依頼者は満足していた。主治医がやってきたのは午後8時を回っていた。書いてもらう診断書のポイントと今後の手続を主治医に説明し、主治医は手続に協力することを約束してくれた。

 依頼者は、ベッドで顔をゆがめている。徐々に痛みが出てきたようだ。主治医は、この手続が一段落したので、明日から少し楽になる薬を処方すると言う。モルヒネらしい。意識は朦朧とすることになる。ギリギリの段階で遺言書を作成することができた。

 午後9時過ぎに、危急時遺言は完成した。

 何とか依頼者の意思を実現することができるという安堵感はあるものの、死を目前にして苦痛に顔をゆがめている依頼者のことを考えると、3人の弁護士は重々しい気持ちでいっぱいだった。依頼者の安楽を祈るばかりだ。

 おわり

 
 
 
 
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:blog

危急時遺言 その1 [弁護士の仕事]

 年末の弁護士は忙しい。

 12月26日、湘南の地域包括支援センターのケアマネージャーから電話。
 70歳代、在宅の男性が遺言を書きたいと言っている、相談を受けてくれないかと。
 末期癌で余命2週間だという。
 ADLの状況を聞くと、ベッドからトイレまで伝え歩きができる。
 字は書けるかと聞くと、字は書ける。
 その日は予定が詰まっていたため、他の弁護士を派遣すると伝えた。
 しかし、どうしても私に頼みたいようだ。

 翌27日午後、ケアマネと自宅を訪問した。
 ゴミ屋敷だった。
 玄関から寝室までの通路が、辛うじて通行可能。まるで、立山のうずたかく積もった雪の間を車で通るような感じだ。数日前に、ゴミ袋9袋分のゴミを処理して「道」を作ったそうだ。
 寝室にたどり着くと、尿バッグを抱えた依頼者がいた。
 自己紹介をして「延命効果が…」と言い始めたが、彼は「ボクには影響はなさそうだな」と。
 生活史を聴きながら、財産のこと、親族のことをに話が及んだ。
 離婚した妻との間に息子がおり、妹がいるが、2人には一切財産を残したくないという。
 財産は友人にあげたいという。

 
 戸籍謄本も登記簿謄本もない。それに、28日が御用納めであるため、公証人に来てもらうこともできない。そこで、自筆証書遺言の作成をすることになった。

 遺言の骨格が固まるまでに、1時間半ほど経った。「それでは、そろそろ書き始めましょうか」と言って、依頼者に筆記用具を渡したが、「遺言書 遺言者●●は、」と書いたところで、「もうダメだ。書けない…」と言って絶句してしまった。
 全身に力が入らず、字が書けないという。代筆してくれないかともいう。
 自筆証書遺言は、全文を自書しなければ無効になってしまうことを説明した。
 依頼者も私も、ケアマネも、落胆して二の句が継げない。

 私は、聴き取った内容に沿った文案を書いた。そして、「ゆっくりで良いので、体調の良いときに書いてください。書き終わったら、預かりに来ますから」と言って、依頼者の自宅を後にすることにした。
 ケアマネに、残念ながら自筆証書遺言は完成されないかもしれないことを伝え、遺言がなく亡くなった時の対応について話し合った。

 車を運転しながら、依頼者の人生と自分の人生とを重ね合わせていた。そして、これから起こるであろう事態を思い描いていた。

(つづく)
 
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:blog

少年事件Ⅰ その5 [弁護士の仕事]

 (きのうの、つづき)

 2度目の山中湖も、私が運転した。3人の弁護団は、前回とは違って饒舌だった。材料がある程度調い、調理の仕方の議論に花を咲かせていた。

 法医学の教授は、微笑んで我々を迎えてくれた。新たに家裁で撮影してきた解剖のカラー写真(以前教授にわたしたのは白黒のコピーだった)と、父親の手帳のコピー、母親の日記、少年からの聴取書(確定日付のあるもの)など、付添人(弁護団)側の手持ち証拠を持参して、尋問の準備をすることにした。

 父親の手帳と母親の日記の日付を照合しながら、父親が駅で倒れた日時と場所、その時の症状を特定した。その上で、解剖結果の所見と、父親が倒れたことに矛盾がないか検討した。

 その結果、約1年前と半年前に倒れた原因は重篤な心臓病にあり、治療の事実はないことが分かった。約1年前の心臓の状況から半年前の心臓の状況、そして今回の事故との間に矛盾はなく、心臓病がここ1年で極めて深刻な状況に陥っていたことが明らかになった。約2時間の議論を終え、教授にはこの内容を「意見書」として作成してもらうことにした。

 仮説として打ち立てたものが、証明されつつある。渦巻いていた流れが、大きな流れになってきた。

 翌週、審判があった。
 少年事件に検察官が立ち会う第1号の事件だった。証人尋問で検察官が反対尋問をするのも当然初めてのことだった。教授の尋問について、検察官は「不必要」との意見を述べたが、裁判所は証人として採用した。

 予定どおりに尋問は展開し、反対尋問は的外れのものだった。
 補充尋問で裁判官は、「父親の余命はどのくらいだと考えるか」と尋ねた。
 すると教授は、解剖の写真を使って説明をしながら、「数ヶ月」と答えた。

 本人に対する質問は、あっさりと終わった。
 一点、今後の生活についてどのように考えているのかという裁判官からの質問に、少年が「母を支えていきたいと思います」と答えたのが印象的だった。

 高校の校長は、「本人を今後も見守っていきたい」「学校は、少年がいつ戻って来てもよいように体制を整えている」と発言した。

 母親は、涙を流しながら言葉にならなかった。ひと言「今後は2人でがんばっていきます」と。

 その日の審判は、約1時間半で終了した。

 3日後、第2回審判があった。その席上、裁判官から少年を保護観察に付すとの決定が言い渡された。殺人の認定はせず、傷害を認定して保護観察にすることなど長い理由が付けられた。母親は泣いていた。少年は、あまり動揺をせず聞き入っていた。

 審判の後、少年は復学した。そして、大学にも入学した。 

ー おわりー
nice!(1)  コメント(1)  トラックバック(0) 
共通テーマ:blog

少年事件Ⅰ その4 [弁護士の仕事]

 (きのうのつづき)

 ところで、少年はどうしているのか。
 警察での取り調べは、相変わらず「殺人」を前提に厳しい調べが続いている。それに対して、弁護団は警察署長宛に「意見書」を出した。殺人罪での取り調べは的外れであり、これ以上執拗な取り調べはやめるようにとの内容だ。また、勾留延長をせずに早期に鑑別所へ移送することを求めた。

 警察の代用監獄は、取調の便宜のために設置されているもので、少年や女性などは、むさ苦しい男達の未決者と別に収用されているものの、環境があまり良いとは言えない。前歴のない高校生にとって、早く比較的環境のよい鑑別所に移してもらう方がリスクが低い。本件の少年に前歴はなく、県内でも有数の受験校に通う普通の少年だ。一人っ子の甘えん坊だ。

 毎日接見している弁護士には心を許すようになっている。取調の状況も克明に記憶して、我々の前でそれをはき出すように話し始める。警察の代用監獄の状況を聞くと、夜叫んでいる人がいたり、なかなかなじめないという。「なじまなくて良いよ」と良いながら心をほぐしていく作業を地道に続けた。父親の死について聞かれると、悲しそうな顔をする。「自分が殺したのだ」という発言に対しては、「そうじゃない。残念ながらお父さんは寿命だったんだ。たまたま君といざこざがあったときにその寿命がきたにすぎないんだよ」と説明をする。

 彼の偉いところは、早くここから出たいという発言をしないことだ。父の死と向き合っているのかも知れない。

 母親からの事情聴取も、並行して行った。父親は、有名国立大学を卒業して一部上場企業に就職した人で、他の社員には負けたくないという考えをもつモーレツ社員だったようだ。朝早く家を出て、夜遅く家に帰ってくる。子どもとの接点もあまりなかったようだ。母親とも、あまり会話がなかったようだ。そのため、通勤途中の駅で倒れたことも知らなかったのだ。夫を亡くし、息子まで自分の元から離れていることで、心の置場を見失いつつあった。

 私が母親に、父親の病歴の事実を告げた時に、その事実を知らないことについて残念でならないと苦悩を吐露した。夫と会話がなかったことを後悔している様子だ。しかし、自分の息子が夫を殺めたわけではない、という一縷の光が見えてきて、表情は少しずつ穏やかになってきたような気がする。家庭における少年の受け皿は少しずつ整いつつある。

 学校の先生にも協力を求める必要がある。少年の社会復帰に向けて、家庭と学校の受け皿が整っていないと、少年は仮に社会復帰しても戸惑うばかりである。そこで、担任教師と校長に面談を求めた。我々が握っている情報を開示して協力を求めた。すると、担任も校長も全面的にバックアップしてくれることを確約してくれた。何もなかったことにしてくれるのだ。退学とか停学とか、処分は考えてないと言ってくれた。

 これで社会資源の確保はできた。

 本件について家裁に提出する意見書の骨子は、以下のとおりだ。
   ① 犯罪事実(殺人罪の実行行為)自体が存在しない。
   ② 仮に何らかの犯罪事実が存在したとしても、少年は内省をしており少年を取り巻く受け皿も万全。

 さて、審判当日の尋問の準備をしなければ。
   ① 少年に対する質問
   ② 母親に対する質問
   ③ 校長・担任に対する質問
   ④ 法医学者に対する質問 … 順番としては④が最初だ。

 ④の内容を確認するために、再度山中湖へ行くことになった。もちろん法医学の教授に会うためだ。

 (あしたに、つづく)
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:blog

少年事件Ⅰ その3 [弁護士の仕事]

(きのうのつづき)

 少年の父親に対する暴行は、普通であれば死に至ることはない程度のものであった。このことは、母親の供述や本人の聴取からも明らかだ。それにも拘わらず、なぜ父親は亡くなったのか?

 審判に向けた証拠開示の中で、司法解剖の結果が出てきた。剖検結果報告書によれば、父親の心臓に過去の病変の跡があった。しかし、報告書はさらっとした書き方だった。心臓の断面の写真が何葉か添付されていたが、どの部分が病変の跡なのか、何かが隠されているのではないか、弁護団は分析を始めた。

 司法解剖の結果は、数十枚の写真を添付して報告書という形で証拠化されている。法医学について専門家ではない弁護士が遺体の写真を何度見ても、実際の死因にたどり着くことができない。

 そこで、法医学者に意見を聞くことにした。幸い、弁護団のひとりが、かつて意見書を書いてもらったことのある某大学法医学教室の教授に鑑定依頼をした。全調書と剖検結果報告書を教授に送った。そして、所見を聞くため教授の指定場所へ行くことになった。教授は、山中湖の別荘を打ち合わせ場所に指定した。

 私が車を運転して、弁護士3人は山中湖へ向けて車を走らせた。11月中旬の山中湖は初冬の陽気で、森の中にある別荘のストーブには火が点っていた。薄暗い応接間には、本がうずたかく積み上げられていた。ひととおり挨拶をしたのち、本論に入った。

 教授は開口一番、「この人は重篤な心臓病ですね。いままで、倒れたことが何度かあったはずだ」と言うのだ。我々は、どこに痕跡があるのか質問を重ねていった。確かに心臓の至る所に白い脂肪が付着している。これが病巣か。そして、教授は「この人は、ちょっとしたことで死に至る可能性が高い。息子の暴行がなかったとしても、近いうちに重篤な状況になっていたことは間違いない」という。

 弁護士3人は、この言葉を我々は探していたんだと、心の中で小躍りした。

 私は教授に対して、審判で先生を証人として尋問をしたいのだが、協力してくれないかと申し出でた。教授は、喜んで証人になると確約してくれた。「こんなことで、ひとりの前途有為な少年の一生を棒にふるようなことはさせられない」と言ってくれた。我々は教授との再会を約束して、山中湖を後にした。

 調書には父親の心臓病について、一切書かれていないが、それを裏付ける証拠を弁護人から提出できれば、「病死」の裏付けの証拠になる。それを探し当てればと考えた。そこで、母親に対して、父親が重篤な心臓病であったことを裏付けるものはないかと、調査を依頼をした。その結果、父親の手帳に、半年前と数ヶ月前に、駅で倒れ病院に搬送されていた事実が記されていた。克明なメモだった。

 さて、意見書を書いて、第1回の審判に臨むか。

 (つづきは、あした)

  
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:blog

少年事件Ⅰ その2 [弁護士の仕事]

(きのうの続き)

少年の行為が、殺人罪(刑法199条)の構成要件に該当しないことを立証する必要がある。
 本件では、殺人の実行行為性と、殺意(殺人の故意)の有無が争点になる。

 殺人の実行行為性を否認するには、
 ① そもそも、彼の行為は人を殺すだけの行為ではなかった
 ② 彼の行為と父親の死亡の結果について因果関係がない
 のいずれかを立証する必要がある。

 殺意を否認するには、
 ① 彼に父親を殺害する動機がない
 ② 反対動機を形成する可能性がない
 ことを立証する必要がある。 

 事実関係は、概ね以下のとおりである。

 父親は朝寝坊をしている息子を起こしに行った。しかし、息子は起きない。しばらくして、父親は再度息子を起こしに行った。そして、息子に対して生活態度が乱れていることを叱責した。息子は起きたものの、父親の小言に辟易とした。
 父親は、息子のふてくされた態度に激怒し、息子の両肩に手をかけて諫めた。
 息子は、肩に置かれた父親の手を振り払った。
 父親は、腕を払われた拍子に、背中から後ろに倒れた。
 父親は、その場から動かなかった。
 救急車で搬送された病院で父親は亡くなった。

 弁護団として、以下の仮説を立て、その仮説を裏付ける証拠を見つけることを立証方針に決めた。
 実行行為性の①については、父親の手を振り払った行為に殺人の実行行為性はない。
 実行行為性の②につしては、司法解剖の結果次第である。
 殺意の①について、当時息子は生活態度が乱れていたが、父親殺害の動機があるとはいえない。
 殺意の②について、父親を殺してはいけないが、死んでもかまわないという状況はなかった。

 実行行為性の①と殺意の①②は、いずれも本人の供述と母親の目撃証言で立証できる。
 問題は司法解剖の結果だ。

 (つづきは、あした) 
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:blog

少年事件Ⅰ その1 [弁護士の仕事]

 かなり前のはなし。
 高校2年生の少年が逮捕された。罪名は殺人。被害者は父親。

 警察署長が記者会見を開き、事件の概要を説明した。自宅で父親から朝寝坊をとがめられ、逆上して父親を殺したと、センセーショナルな発表だった。このような会見が開かれると、多分そのとおりなのだろうと一般人は考える。少年の社会復帰にとって、このようなレッテル貼りが最も障害になる。

 警察で少年に接見をすると、ぼうっとしているが素直な男の子だった。
 当日の朝の状況を事細かに聞いていくと、彼には殺意はなく、事故ではないかという心証を抱いた。

 しかし、警察は彼には殺意があり、彼の行為は殺人の実行行為であるという絵を描いている。ここで、その趣旨にそった自白調書をとられると、その自白を覆すことは難しく、少年審判で殺人が認定される可能性が高くなる。そこで、自分が見聞きし、自分が本当に行ったこと以外は、刑事に話すなと釘をさした。

 毎日彼に接見をし、当日刑事から聴取された内容とその真偽を文書に書き留めた。そして、その文書に公証人の確定日付をとることにした。それによって、当日彼に対してどのような取調があり、彼がどのように答えたか、その答えが真実か否かについて証明力を高めることができる。

 毎日接見することは、ひとりの弁護士では限界がある。そこで、3人の弁護士で弁護団を組むことにした。その3人が、必ず毎日彼に接見をして、励ましながら、刑事からの聴取内容をメモにとり、その日のうちに公証人の確定日付をとっていくことにした。

 現場の実況見分もした。母親に当時の状況を再現してもらい、少年と父親の立ち位置や動きを確認した。その状況から、弁護団は、少年に殺人の実行行為はなかった、殺意もなかったことを、共通認識としてもつに至った。それを前提に弁護方針を立てることにした。

 (あしたに、つづく)
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:blog

講演Ⅰ [弁護士の仕事]

 私は講演の依頼があると、原則として断らないことにしている。

 講演といっても、学術的で難しい話をする訳ではない。一般市民や、現場で高齢者・障害者のお世話をしている人たちに対する講演だ。

 15年近く、毎年依頼される講演は、「横浜シニア大学」での講義だ。横浜市の外郭団体である「横浜市老人クラブ連合会」が主催者。私は、自分が生まれ育った区を担当している。そのため、昔お世話になったお爺さんやお婆さんが時々聴きに来る。子どもの頃を知っている人の前で話すのは、冷や汗ものだ。

 「横浜老人福祉大学」⇒「横浜高齢者福祉大学」⇒「横浜高齢者シニア大学」⇒「横浜シニア大学」と、名前は変わっているが、内容は同じ。高齢者にとって知っておきたい法律知識の普及啓発が狙いである。

 ①扶養、②相続、③遺言、④財産管理、⑤成年後見、の順に話していく。

① 子どもたちには頼れない。
② 何にもしないで死んでしまうと、子どもたちが相続でもめる。
③ 遺言を書いておくと、子どもたちの争いを未然に防げると同時に、築き上げてきた財産を有為に次世代につなぐことができる。
④ 財産は、自分で管理できるうちは自分でする。財布は最後まで自分で握っていることが肝心。
⑤ 知らない間に「呆け」はやってくる。子どもたちが何とかしてくれるとおもっても、なんともならない。呆けた時に備えて任意後見を検討してみてはどうか。すでに呆けている人には、法定後見(後見・保佐・補助)という制度がある。

 自分らしく最後まで生きるためには、自分が呆けた時のこと、自分が亡くなった時のことを想像してみる。その上で、不安であれば、成年後見や遺言の準備をすることをお勧めする。こんな流れで話は進んでいく。

 話の中に笑いのポイントが幾つも埋め込んである。最低でも5回は爆笑コーナーが用意されている。

 自分が高齢者の仲間入りをするまで、講演依頼が続くと良いな、と密かに目論んでいる。
 子どもたちに頼れない講師が、悩み多い状況のなかで話す内容は、今私が話している内容と違うのかどうか…。ふ、ふ、ふっ。楽しみだ。
 
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:blog
前の10件 | - 弁護士の仕事 ブログトップ

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。