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少年事件Ⅰ その5 [弁護士の仕事]

 (きのうの、つづき)

 2度目の山中湖も、私が運転した。3人の弁護団は、前回とは違って饒舌だった。材料がある程度調い、調理の仕方の議論に花を咲かせていた。

 法医学の教授は、微笑んで我々を迎えてくれた。新たに家裁で撮影してきた解剖のカラー写真(以前教授にわたしたのは白黒のコピーだった)と、父親の手帳のコピー、母親の日記、少年からの聴取書(確定日付のあるもの)など、付添人(弁護団)側の手持ち証拠を持参して、尋問の準備をすることにした。

 父親の手帳と母親の日記の日付を照合しながら、父親が駅で倒れた日時と場所、その時の症状を特定した。その上で、解剖結果の所見と、父親が倒れたことに矛盾がないか検討した。

 その結果、約1年前と半年前に倒れた原因は重篤な心臓病にあり、治療の事実はないことが分かった。約1年前の心臓の状況から半年前の心臓の状況、そして今回の事故との間に矛盾はなく、心臓病がここ1年で極めて深刻な状況に陥っていたことが明らかになった。約2時間の議論を終え、教授にはこの内容を「意見書」として作成してもらうことにした。

 仮説として打ち立てたものが、証明されつつある。渦巻いていた流れが、大きな流れになってきた。

 翌週、審判があった。
 少年事件に検察官が立ち会う第1号の事件だった。証人尋問で検察官が反対尋問をするのも当然初めてのことだった。教授の尋問について、検察官は「不必要」との意見を述べたが、裁判所は証人として採用した。

 予定どおりに尋問は展開し、反対尋問は的外れのものだった。
 補充尋問で裁判官は、「父親の余命はどのくらいだと考えるか」と尋ねた。
 すると教授は、解剖の写真を使って説明をしながら、「数ヶ月」と答えた。

 本人に対する質問は、あっさりと終わった。
 一点、今後の生活についてどのように考えているのかという裁判官からの質問に、少年が「母を支えていきたいと思います」と答えたのが印象的だった。

 高校の校長は、「本人を今後も見守っていきたい」「学校は、少年がいつ戻って来てもよいように体制を整えている」と発言した。

 母親は、涙を流しながら言葉にならなかった。ひと言「今後は2人でがんばっていきます」と。

 その日の審判は、約1時間半で終了した。

 3日後、第2回審判があった。その席上、裁判官から少年を保護観察に付すとの決定が言い渡された。殺人の認定はせず、傷害を認定して保護観察にすることなど長い理由が付けられた。母親は泣いていた。少年は、あまり動揺をせず聞き入っていた。

 審判の後、少年は復学した。そして、大学にも入学した。 

ー おわりー
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BZK

信じていきたいものが、どこかに必ずあることを教えられました。
by BZK (2011-10-22 13:41) 

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