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2度目の被災地 ① [被災者支援]

 5月1日に、女川町と石巻市を現地調査したが、2度目の現地調査のため被災地に入った。

 6月28日、日弁連の会議が午後7時に終わり、その足で新幹線に飛び乗った。日弁連の「高齢者障害者の権利に関する委員会」委員4人で現地調査のため、陸前高田と大船渡へ入るためである。

 午後11時ころ、一ノ関のホテルに入り前泊した。ホテルはどこも満室で、客は朝早く出かけていく。隣の客は午前5時に出て行った。岩手の沿岸部にあったホテルは全滅で、泊まるところがないため、一ノ関のホテルに泊まって陸前高田や大船渡に向かうのだろう。

 6月29日、我々も朝一でレンタカーを借りて、陸前高田に向かった。約1時間45分かかって陸前高田に入ったものの、一面の荒野には廃屋と瓦礫しかないため目標物がない。ナビで中心部に向かうが、自衛隊員か瓦礫を処理する人以外に人もいない。道は辛うじてあるものの、信号もない。例えが悪いかもしれないが、SimCityというゲームで街を作り始める前の風景はこんな感じだったかも知れない。

 小高い丘にあるはずの老健へ向かった。しかし、ナビでは行き着くことができなかった。そこで、作業をしている地元の人に尋ねることにした。その人は「目印になるものがなくなったので…」と言いながら、廃屋になっている5階建ての建物を目印にそこを左へ行き、これまた廃屋になっている建物を目印にそこを右に行き、という案内をしてくれた。

 5階建ての建物は、4階まで津波の波に洗われたようで黒ずんでおり、窓ガラスが吹き飛んでいた。5階部分だけが辛うじてカーテンが敷かれ窓ガラスがあった。

 丘の上にある老健には、車が4、50台停まっていた。テレビ局の中継車も停まっていた。ここだけは人間が活動をしている気配がする。施設長と看護師長から、陸前高田における被災当時の状況や、高齢者・障害者を取り巻く環境など詳細な話を聴くことができた。

 (つづく)

 
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