後見 高齢者の見守りⅢ その5 [成年後見]
(前回のつづき)
第1回のケース会議で施設入所に同意した被後見人が、その後施設への入所を拒絶し始めた。
そこで、ケアマネに相談。
何とか在宅で支援をすることができないか、介護保険外のサービスを使っても構わないと話を切り出した。しかし、ケアマネは「在宅では絶対にムリだ。この次は死んでしまう」と言うのだった。
病院のPSWにも相談した。
彼女は、「褥瘡は完治していて病院での治療は終わった。あとは受け入れてくれる施設に移ることが良いだろう。自宅でのひとり暮らしは、食事と服薬の管理ができないためムリだ。この点については、主治医の見解も一致している」という。ケース会議に本人も出席してもらって、主治医から施設入所の説得することになった。
12月中旬、第2回のケース会議を病院で開いた。
主治医やPSW、ケアマネから状況の報告を受けたのち、主治医による被後見人の説得が始まった。
Dr.「救急車で病院へ運ばれた時の状況を覚えている?」
本人「…覚えていない」
Dr.「栄養失調と脱水症状で、2日間自宅で倒れていて、救急車で運ばれてきたときには一歩間違えれば亡くなっても不思議ではない状況だったんだよ」
本人「…」
Dr.「そのような状況からすると、自宅で1人でで暮らすのはできないことは分かるよね?」
本人「全然分かんない。小さな家でも自分の家があるんだから、家に帰る。正月の支度もしなければならないから、こんな所にいる場合じゃないのよ。早く帰して」
Dr.「それはできない。褥瘡などの体の傷は治ったけど、1人で生活できない状況は変わっていないんだよ」
本人「もう大丈夫。長い間この病院にお世話になって、ぴんぴんになったから…」
Dr.「あなたはそう思うかも知れないけど、主治医の私からみると、以前の状況は変わっていない。家にもどれば、また食事をとらず、薬も飲まないようになる。そして、また倒れる。今度は死んじゃうかもしれないよ」
本人「絶対に、家に帰る。施設には行きません」
このような会話が1時間半続いた。
ケース会議では、このまま精神科病棟での入院を継続する方針で行くことに決まった。
そして、会議が終了する間際、コツコツとドアを叩く音が。彼女が私に用事があるという。廊下で立ち話をした。
彼女「1万円貸して」
私「1万円でどうするの?」
彼女「タクシー拾って家に帰るの」
私「ダメだ。そんなことできない」
彼女「だったら、先生の車に乗せてって」
私「あのね…。この病院から出るためにどうしたら良いか、みんなで考えているんだよ。○○さんを苦しめるために話をしているわけではないんだ。施設に一旦入って、自宅で生活ができると主治医の先生が判断してくれれば家に帰れるんだよ…」
しばらくして彼女は「それじゃあ、1か月くらいそこへ行けばいいの?」「2週間じゃ、ダメなの?」「1週間でも良いでしょ?」と言い始めた。しめた!
翌週、彼女は住宅型の有料老人ホームへ入居した。
当初は、「早く帰して」と担当者に言い続けていたそうだ。
しかし、年が明けて私が会いに行ったときには落ち着いていた。友達ができたと言っていた。
お嬢さん(長女)には、「ここは良くしてくれるの。買い物やレストランにも連れて行ってくれるの。ずっと、ここで暮らすことにした」とニコニコしながら言っていたそうだ。そして、茶箪笥と小さなテーブルを買ってくるように頼まれたそうだ。
彼女の新しい人生が始まったように思う。
とはいえ、この後もいろいろな問題が起こるのだろうな。どんな状況になっても寄り添ってあげよう。
(おわり)
第1回のケース会議で施設入所に同意した被後見人が、その後施設への入所を拒絶し始めた。
そこで、ケアマネに相談。
何とか在宅で支援をすることができないか、介護保険外のサービスを使っても構わないと話を切り出した。しかし、ケアマネは「在宅では絶対にムリだ。この次は死んでしまう」と言うのだった。
病院のPSWにも相談した。
彼女は、「褥瘡は完治していて病院での治療は終わった。あとは受け入れてくれる施設に移ることが良いだろう。自宅でのひとり暮らしは、食事と服薬の管理ができないためムリだ。この点については、主治医の見解も一致している」という。ケース会議に本人も出席してもらって、主治医から施設入所の説得することになった。
12月中旬、第2回のケース会議を病院で開いた。
主治医やPSW、ケアマネから状況の報告を受けたのち、主治医による被後見人の説得が始まった。
Dr.「救急車で病院へ運ばれた時の状況を覚えている?」
本人「…覚えていない」
Dr.「栄養失調と脱水症状で、2日間自宅で倒れていて、救急車で運ばれてきたときには一歩間違えれば亡くなっても不思議ではない状況だったんだよ」
本人「…」
Dr.「そのような状況からすると、自宅で1人でで暮らすのはできないことは分かるよね?」
本人「全然分かんない。小さな家でも自分の家があるんだから、家に帰る。正月の支度もしなければならないから、こんな所にいる場合じゃないのよ。早く帰して」
Dr.「それはできない。褥瘡などの体の傷は治ったけど、1人で生活できない状況は変わっていないんだよ」
本人「もう大丈夫。長い間この病院にお世話になって、ぴんぴんになったから…」
Dr.「あなたはそう思うかも知れないけど、主治医の私からみると、以前の状況は変わっていない。家にもどれば、また食事をとらず、薬も飲まないようになる。そして、また倒れる。今度は死んじゃうかもしれないよ」
本人「絶対に、家に帰る。施設には行きません」
このような会話が1時間半続いた。
ケース会議では、このまま精神科病棟での入院を継続する方針で行くことに決まった。
そして、会議が終了する間際、コツコツとドアを叩く音が。彼女が私に用事があるという。廊下で立ち話をした。
彼女「1万円貸して」
私「1万円でどうするの?」
彼女「タクシー拾って家に帰るの」
私「ダメだ。そんなことできない」
彼女「だったら、先生の車に乗せてって」
私「あのね…。この病院から出るためにどうしたら良いか、みんなで考えているんだよ。○○さんを苦しめるために話をしているわけではないんだ。施設に一旦入って、自宅で生活ができると主治医の先生が判断してくれれば家に帰れるんだよ…」
しばらくして彼女は「それじゃあ、1か月くらいそこへ行けばいいの?」「2週間じゃ、ダメなの?」「1週間でも良いでしょ?」と言い始めた。しめた!
翌週、彼女は住宅型の有料老人ホームへ入居した。
当初は、「早く帰して」と担当者に言い続けていたそうだ。
しかし、年が明けて私が会いに行ったときには落ち着いていた。友達ができたと言っていた。
お嬢さん(長女)には、「ここは良くしてくれるの。買い物やレストランにも連れて行ってくれるの。ずっと、ここで暮らすことにした」とニコニコしながら言っていたそうだ。そして、茶箪笥と小さなテーブルを買ってくるように頼まれたそうだ。
彼女の新しい人生が始まったように思う。
とはいえ、この後もいろいろな問題が起こるのだろうな。どんな状況になっても寄り添ってあげよう。
(おわり)
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