後見 高齢者の見守りⅡ [成年後見]
以前ご紹介した96歳の女性が大腿骨を骨折した。
6月1日に手術をして経過は良好だ。
今日見舞いに行ったところ、私に話したいことがあるというのだ。
話を聞くと、今から主治医に会って「延命治療」をしないように頼んでくれというのだ。
今度こそ「早く死にたい」と言うのだ。
リハビリをさせて回復をさせようとする医師の行為は「延命治療」で、それをやめれば自分は死ねると言う。しかし、これらの医師の行為は「延命治療」ではなく、彼女の自然治癒力で治療をしようとしているに過ぎない。「延命治療」ではないことで本人は納得したものの、これ以上長生きはしたくないと言って涙を流す。
「私、早く死にたいのよ」というのは冗談や、笑いのネタではなく、彼女の本心なのかも知れない。
「趣味もなく、楽しいこともないのに、なんで無駄に生きていなければならないの?」とも言う。
私は困り果てた。
困り果てた挙げ句、「神様にもらった命は、神様が召し上げるまで生きていかなければならない。それが自然の摂理なんですよ」と私。何の説得力もない言葉が宙を舞った。
「もし○○さんが亡くなったら、私とこんな風に話すこともできないんですよ。それでも死にたいの?」
「私は、何時までも○○さんと、こういう風に話をしていたい」
「生きているということは、そんな日常を繰り返すということではないんですか」
「そうね。先生、また来て下さい。ありがとうございます」
「それから、アレ買ってきて。アレ」
「辛子明太子?分かった。今すぐ買ってくる」
私は、近くのスーパーで、彼女の大好物である辛子明太子とチョコレートを買って彼女に渡した。
彼女は、「先生、また来て下さいね。その時、また買ってきて下さい」と明太子を指さして微笑んだ。
6月1日に手術をして経過は良好だ。
今日見舞いに行ったところ、私に話したいことがあるというのだ。
話を聞くと、今から主治医に会って「延命治療」をしないように頼んでくれというのだ。
今度こそ「早く死にたい」と言うのだ。
リハビリをさせて回復をさせようとする医師の行為は「延命治療」で、それをやめれば自分は死ねると言う。しかし、これらの医師の行為は「延命治療」ではなく、彼女の自然治癒力で治療をしようとしているに過ぎない。「延命治療」ではないことで本人は納得したものの、これ以上長生きはしたくないと言って涙を流す。
「私、早く死にたいのよ」というのは冗談や、笑いのネタではなく、彼女の本心なのかも知れない。
「趣味もなく、楽しいこともないのに、なんで無駄に生きていなければならないの?」とも言う。
私は困り果てた。
困り果てた挙げ句、「神様にもらった命は、神様が召し上げるまで生きていかなければならない。それが自然の摂理なんですよ」と私。何の説得力もない言葉が宙を舞った。
「もし○○さんが亡くなったら、私とこんな風に話すこともできないんですよ。それでも死にたいの?」
「私は、何時までも○○さんと、こういう風に話をしていたい」
「生きているということは、そんな日常を繰り返すということではないんですか」
「そうね。先生、また来て下さい。ありがとうございます」
「それから、アレ買ってきて。アレ」
「辛子明太子?分かった。今すぐ買ってくる」
私は、近くのスーパーで、彼女の大好物である辛子明太子とチョコレートを買って彼女に渡した。
彼女は、「先生、また来て下さいね。その時、また買ってきて下さい」と明太子を指さして微笑んだ。
2011-06-17 21:34
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