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子どもの権利 [弁護士会]

 十数年前に、高齢者・障害者の問題にスイッチするまで、私は子どもの権利の問題に肩までどっぷりつかっていた。京都で開かれた日弁連の委員会の合宿にも参加していた。

 15年以上前のこと。弁護士会の「子どもの権利110番」に障害のある双子のお子さんの両親が相談にきた。駆け出しの頃で、正義感に燃え筋の通らないことに対して真っ向から対峙していた。

 2人のお子さんは翌年小学校に入学することになっているが、就学時診断(正確ではないかもしれない)で障害があると指摘され、行政から昔でいう養護学校へ入学することを指示された。しかし、両親は2人の子どもを普通学校の普通学級に入れたいというのだ。

 当時選択肢としては、①養護学校入学、②普通学校の特別学級入学、③普通学校の普通学級入学があった。

 翌週、駆け出しの私とベテランの弁護士2人で、子どもたちに会いに行った。

 兄は言葉を発することができずバギーに横たわったままだった。弟は発語はできるものの会話が難しく、伝え歩きができる程度の身体能力だった。

 3人の弁護士は頭を抱えながら議論をした。その結果、小学校の校長と、教育委員会に面談を求めることになった。

 統合教育と分離教育について議論があることは理解していたが、校長も教育委員会も頑なな分離教育論者だった。もちろん弁護士は統合教育が理想であるとの論陣を張った。健常者と障害者が、同じ場で、同じカリキュラムを受けることによって、相互の立場を理解し合えると考えた。

 丁度その頃、ある市で、障害がある子どもを普通学級で指導するという試みを初めていて、ティームティチングといって複数の教員が役割分担して対応する仕組みを始めるという情報を聞きつけた。

 数回の協議を校長・教育委員会と行った。私は校長に「他の市でできることが、ここでできないわけはない」と、無理矢理の議論をしていった。教育委員会は全く相手にしてくれなかったが、校長の対応がにわかに変化した。

 最終的には、ティームティチングを導入するとともに、遠足や学校行事で人手が必要な場合には、両親が手伝うことを条件に、2人とも普通学校の普通学級に入学することができた。両親は喜び、子どもたちは楽しそうに学校へ通い始めた。

 2人の障害をもつ子どもたちの存在が、障害のないクラスメートに溶け込んだ。6年間、お互いがお互いの存在を認め合った結果、障害があってもなくても友達同士だという意識が定着していった。そして、この感覚が彼らの生活する地域にも広がっていった。時々、お宅に呼ばれてお酒を飲ませてもらった。彼らは私の膝に潜り込み、うれしそうな仕草をしてくれた。至福の喜びだった。心地よいひとときを味あわせてもらった。

 中学も、普通中学の普通学級に入学できた。高校進学は普通校に進学することはできなかったものの、小学校・中学校の仲間と地域の人々が彼らを支え合っていった。

 17歳で兄は亡くなった。20歳で弟が亡くなった。

 2人のお葬式は、小学校と中学校の同級生、それに地域の人たちで溢れていた。彼らの一生は短かったものの、彼らの友達や地域に与えた影響は計り知れないものがある。

 私の膝の間で、嬉しそうに微笑んでいた2人の仕草が、今も忘れられない。
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